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「おい、第二放送に変えようか」

と、言っており、何か自分の運命というものに諦めをつけていたのである。

「しかし、何だか脱走はいやだなア。卑怯だよ、第一……」

このような批判概念を以て学問性を規定し尽すことは出来ないが、併し学問性にとってこの規定程重大なものを見出すことは出来ないであろう。その外観・その形骸に於て学問らしく見えるものもこの規定をただ一つ欠く時、それは学問性の精神を全く有たないものと考えられるであろう(曲学の概念は茲に生れる)。唯名上の学問性を具えている廉を以て、学問らしい威容を有ちながら俗流と一致すべく通用する処の、没批判的理論を吾々は常に眼にしないであろうか。又事実諸々の問題を解決し得る有力な理論でさえも直ぐ様学問性を有つと想像することを吾々は控えねばならない。何となれば一旦提出された問題は、如何なる根柢の上ででも、その根柢自身の批判とは無関係に、必ず一応は解かれ得る性質を有っているからである。そして序に、学殖・博学なる知識それ自らだけでは(之は元来学問性概念とは一応別であったのである――前を見よ)、学問性を有つことが出来ないことを述べる必要があるであろうか。ただ社会的規定に対するこの批判性に於てのみ、真理性のこの獲得に於てのみ、真理の所謂価値という言葉も純粋な意味を受け取ることが出来、そしてかかる真理性の獲得によってのみ、この学問性によってのみ、学問の所謂自由というものも唯名的性質を脱することが出来るであろう(学問に於ける自由――それこそ学問性である――は何か「強制の欠落状態」というようなものであるのではなくして、批判的気魄の存在であらねばならぬ)。学問の所謂神聖は茲に於て初めて保証されるのである。――かくてこのように根柢的な批判性に於て、学問性は夫のもつ真に実践的な規定を、初めて示すことが出来る。何となれば社会的規定こそは真に実践的な規定であるであろうから。――さてそうすれば、このような学問性――根柢的批判性――は方法に属するかそれとも又体系にぞくするか。かかる批判は体系の有つ名ではなくして方法が有つ名である外はないのである。批判的体系なる言葉はあるにしても、もし批判がこのような意味での――根柢的な――批判であるならば、批判という体系、なる言葉は事実上意味を有つことが出来ないに違いない。批判は方法概念にぞくす。批判が実践的な――社会的規定に対する――批判であり、又方法が元来実践的概念であったのだから、之は至極当然でなければならない。そしてこの方法こそが初めて真理性獲得の手段――それはプラグマチズムの場合の方法概念であった――でもなければならないであろう。何となれば根柢的・批判的・方法に於てのみ、どの問題も解決されるべき正当な仕方に於て解決される見込みが初めて立つのだからである。――今や吾々は、方法概念がこの点に於て体系概念を優越する必然性を遂に知ることが出来た。学問性の一規定としての批判概念に於て、学問の方法概念はその中枢的な規定に出逢う*。学問性は方法である。

自然は一つの世界であると云った。但し自然が、個々の又特殊の物体を、生物を、現象を、意味する時、それは世界にぞくする単なる事物を意味するに他ならない。人々が自然をこのような個々の事物として理解している場合のあるのは事実である。処がこのような一切の自然的事物を包括し支配する処の世界をも亦事実人々は自然と呼んでいる。自然は個々の事物としても、又普遍的世界としても理解出来る。今はただ後者の意味をのみ取る。世界としての自然、この日常的概念は更に、科学的世界としての自然――自然科学的世界――となることが出来る。

私は本郷壹岐殿坂の獨逸語を教へている學校にはいつた。そこへ通ふには向島からでは遠いから、神田小川町の西周といふ先生の家に置いて貰つてそこから通つた。

早見博士が帰つた後、主治医の煙は、ぼんやり応接室に残り、冬菜は、ひとり、夫の病室に戻つて行く。

第二には、国民全体の生活が、無駄も隙もなくなり、がつちりと落ちついて来ます。

插話は此処へ入る。――○――

隊長は驚いたが、

一同、思ひ思ひに、加来の方を振り返りながら、部屋を出て行かうとする。細木ひとり、しばらく後に残り、また、思ひ余つたやうに、「先生……」と、ひと声、嗚咽とともに、低く呼んで、そのまま、そこに坐つてしまふ。

ドストエフスキーの「悪霊」の中にあったことだと記憶しているが、面白い対話がある。

早見は、しかたがなしに、なんべんもうなづく。そして、看護婦と顔を見合せて、ニタリとする。兄の雅重は、苦りきつて、腰を左右に動かす。

**同上S.176及びDilthey-DerAufbaudergeschichtlichenWeltinderGeisteswissenschaft(GesammelteSchriften-Bd.7-S.138)参照。フリッシュアイゼン・ケーラーはディルタイに基く。
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